立ったまま寝る毎日

毎日を生きる

実家の犬を看取れなかった

さっきまで恋人と犬や猫の話をしていたらすうっと恋人が寝落ちした。私はたっぷり昼寝をしたおかげで眠れないし、どうしたものかと思っていたらここの存在を思い出した。同時に、実家で飼っていた犬のことも。

 

ちょっと昔話ババアになります。

 

今からもう何年前のことだろう。本当は1匹しか飼わない予定だったのに、何かの手違いで2匹の犬が我が家にやってきた。ミニチュアダックスフンドボストンテリアで、2匹ともまだ仔犬だった。私は小学2年生くらいだったから、3つ下の弟は小学校に入学する前だ。その2匹と私は、私が高校を卒業するまで一緒に住んでいた。

 

私は高校を卒業して、実家を離れて進学した。実家がある地元は田舎だから、実家から車で5時間かかる場所に生活を移した。そうすると当然頻繁に帰ることも出来なくなるし、多くても年に3回とか4回とか、そんなもんになる。仕方ないと思うかもしれない。

 

そんなこんなで学校を卒業して、さらに私は遠くの地へ行くことを選んだ。今度は実家に帰るには飛行機を使わなければいけない距離だ(新幹線でも電車でも帰れるけど)。帰省の頻度はまた低くなる。年に1回か2回。

 

忙しいという理由もあるけど、老いていく家族を見るのが怖い。変わっていく故郷を見るのが怖い。そして何も変わらない自分だけが責められている気がして、浮いている気がして、実家なのに居心地が悪い。家族は好きだし、会えるうちに会っておきたいけど、年々現実に耐えられなくなっている気がする。だからあんまり帰りたくないっていう気持ちもあった。

 

そんななかで先日、祖母から電話がかかってきた(祖母はもう結構な高齢で、おしゃべり好きで気丈だがおそらくもう軽くボケてきている)。いつも通り「ご飯はちゃんと食べているか」とか「物騒じゃないか」とかそういう会話をしたあとに「みんな元気か」と確認をした。もちろんこれもいつも通り「元気だよ」と返ってくると思っていた。

 

「みんな元気だけど、ボブ(ボストンテリア)が死んじゃったよ」

 

それを聞いて、えっ、死ぬんだ、と思った。しばらく、どうせ祖母に聞いてもわかるわけがないと知ってたのに、「えっ、なんで?」と聞いたっきり何も言えなくなってしまった。祖母も「わからない。前の日まで元気だったのに、次の日の朝には冷たくなってた」と少し湿っぽい声で答えた。私は冷たくなったボブを想像して、泣きそうで、泣けなかった。

 

ここまで書かれたことを読んで、高校生までは一緒に住んでたんだし、私のことを「普通の犬の飼い主(なんじゃそりゃ)」だったんだろうと思われた人がいるならそれは大間違いで、私は飼い主でもなんでもなかった。

 

小学生が「あのオモチャ欲しい」のノリで犬という命を要求したら何故か通ってしまって、結果として死ぬまで生かしたというだけだと思う(これは誓って言えるけど虐待をしたことは一度もない)。

 

私は自分のことを「一般的な飼い主のように」、「愛情を持って」、「犬を育てられた」とは1ミリも思っていない。むしろ、「犬が欲しい」と言い出した小学生の自分をボコボコにしたい。

 

小学生、中学の頃はまだ飼い主らしかった記憶がある。でも途中で自分が精神を病んでおかしくなってから、ほとんど飼い主らしい記憶がない。

 

もっと愛せたんじゃないか、もっと遊んであげられたんじゃないか、うちにきて幸せだったのか、どんな思いで最期を、苦しかったんだろうか、そして冷たくなっていくボブを見守っていたポッキー(ミニチュアダックスフンド)は何を思って、それを受け止めたおばあちゃんは、ボブを裏庭にうめてくれたお父さんは、そしてそのすべてから目を逸らして逃げて精神薬を飲みながら生きている私は?

 

恋人と将来猫を飼う話や子供を持つ可能性の話をしていると少し苦しい。きっと私は看取れなかった冷たくなった犬のことを、いつまでも忘れられない。

2,000円払って変な髪型にされた

可愛くなる努力をしなければ殺されて脂を取られて石鹸や燃料にされる!という思いに取り憑かれて三日経った。そういう夢を見たんです。

夢を見た日から、努力をしよう、せめて努力をしてるフリだけでもしよう(結果が出ないと努力したとは認めてもらえないため)と思って、顔にパックを貼ってみたりファッション誌を買ったりしてみた。さあ読むぞ! と思ってページをめくったところ、購入したファッション誌が2ヶ月前に発売されたものだということが判明し、読まずに返品した。

 

髪も切りたいし、と思って美容室を予約した。今回も初めて切ってもらう美容室に行くことにした。

努力をしなければ殺されることになった私は久しぶりにコンタクトをつけて外に出た。もちろん化粧もした。コンタクトにしたほうがいいよ、と今まで散々言われてきたのだ。

しかし、久しぶりにメガネを外した自分の顔を見て朝食の卵焼きを吐きそうになった。普段のメガネよりもこっちのほうがいいのか? じゃあ普段はもっとひどいのか? 鏡を見てるうちにいよいよ気分が悪くなり、急いで吐き気止めの薬を飲んだ。家を出て40分。なんとか吐き気を堪えて美容室まで辿り着いたが、予約した美容室は妙に殺風景な空間で、客のわりに店員が多く、なんとも言えない居心地の悪さを感じた。

 

「今日はどんな感じにしますかあ」と言う女性美容師に、「似合わせカットでお願いします」と言える勇気はなく、もにょもにょと要望を伝えた。時々、鏡に映る自分の顔が視界に入って、相変わらず吐きそうだった。

シャンプーをされながら周囲の会話や音を聞いた。「今この場にいる人間は全員美に関心がある人間なのだ」と思うと、私はこの場で殺されるんじゃないかと思ってびくびくした。トリートメントに見せかけて、毒を頭皮に塗られて殺されるかもしれない。執拗に問われる「痒いところはないですかあ」に小さな声で「だいじょうぶです」と返し、そのやり取りが6回目になった時に洗髪が終わった。生きてる。

 

席に戻ったあとも正面の鏡を直視することができない。今まではメガネをかけて美容室に行き、施術中はメガネを外していたので自分の顔を見ずに済んだのだ。しかし、今日はコンタクトにしてきてしまったのでそういうわけにはいかない。鏡の下に置かれた雑誌や、鏡に映る自分の首あたり(首あたりから上を見ることができない!)で視線をうろうろさせながら、殺された方がマシかもしれないと思った。

 

「前髪はどうしますかあ」

「あ、切りたいんですけど、切ると、割れてしまって、えと、まばらに。それが嫌なんですけど、そうならないなら、切ってほしいです」

「あーわかりましたあ。軽めがいいですかあ、それとも重めにしますかあ」

「あっ、重めで」

「可愛い系が好きなんですねえ(笑)」

殺された方がマシだと思った。

 

私は施術中もほとんど会話を交わさず、隣で髪を染めている客と女性美容師の賑やかな会話を聞いていた。旧友ですか? と聞きたくなるほど親しげで、自然で、楽しそうだった。別の生き物だと思った。

私の目が多動しているあいだにも、どんどん髪の毛が落ちてくる。ちょっとこれ切りすぎじゃないか? とびくびくしながら、やっぱり鏡を見ることができない。しばらくそわそわして、どうせ途中で「やめてください」なんて言えないし、と思って諦めた。それにどうせ私は最初から死んでいる。

 

「できましたあ、お疲れさまです」と言われたので嫌々鏡を見ると、そこにはもうとんでもないブスが間抜けな顔をして存在していた。誰だよ。私か。今まで自撮りでしか自分の顔を見たことがないので本当に誰かと思った。こんなにブスだったんだあ。もう無理かもしれないなこれは。「いかがですかあ」と聞かれたので「すっきりしましたね〜」と答えて、2,000円を払って逃げるように店を出た。店の名刺はすぐに捨てた。本気で泣きそうだった。なあんだ、こんなにブスだったんだあ。あまりにブスすぎて、家に帰ってきて寝込んだ。こんなにブスなのにもう2年も付き合ってくれる恋人は聖人だと思う。「髪型が嫌だ」と言って泣く私を「お姉さんみたいで可愛いよう」と慰めてくれた。私の生命保険の受取人はこの人にしようと思った。

 

化粧も美容室も身なりに気を遣うことも、私にはまるで不自然で、人じゃない生き物が人のふりをしているようで痛々しい。誰しも最初はそうかもしれないが、誰もが生きていくなかで練習をして学習をして体験をして自然になり、そうしてちゃんとした人になっていくのだ、と思う。漢検も英検も数検もいらないから、ちゃんとした人になる方法を習得したかった。ドブに捨てた2,000円が今までの私の人生の価値である気がして、変な髪型にされたこと以上に泣きたくなった。

ガム

苦しい。頭の中で何も価値のない言葉がぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる回って苦しい。頭の外に出した瞬間、酸化して腐ってボロボロ崩れてしまいそうな、薄っぺらくて意味のない可哀想な言葉!始まらない物語!誰にも必要とされない文章!ごめんね。私に才能があればよかったね。

友達がいない、というのは直接的な原因ではないと思うが、結果として私は生き恥を晒すのが趣味なんだと思う。具体的には、自分の頭の中のことを文字に起こしてインターネットや顔も知らない誰かに読まれるのが好きなんだと思う。吐き気がする。今これを書いているこの瞬間も吐き気がする。ああああああああああ。自意識!この自意識!早く誰か殺して!

書かなきゃよかったと思って後で消すくらいなら載せなきゃいい。死ねば?

あーーーーーーーーーー愛してるよ、本当に、愛してる。君が本当に愛おしかった。私は君の気持ちが痛いほどにわかる。君を苦しめた君自身のことも、本当に痛いほどにわかる。全世界の人間が君を嫌いになっても、私だけは君の味方だったんだよ。本当に。君が誰かから陰口を言われるたびに胸が痛んで熱くなったし、できることなら君に会いに行って抱きしめたかった。もう君はいないけどね。とんでもなく愛おしかった。もっともっと私に依存してほしかった。君に降り注ぐ悪意から守ってあげたかった。私は君の幸せなんて一ミリも願っていなかったのかもしれない。

の子が言ってた「完成してない作品をネットにあげるな」って感じの言葉。ふと思い出しての子の詩集を開いたら「日記とかブログとかTwitterにバンバン書くやつって嫌いだ。自身を作品として表現しないでただオナニーみたいに文字をつないでるやつ」みたいなことを言っていた。私だって嫌いだよ。でもみんなの子にはなれないし、大森靖子にも最果タヒにもなれないんだよ。嫌いだよ。の子にも大森靖子にも最果タヒにもなれない程度の違和感と社会性を持って生まれてきちゃったんだよ。嫌いだよ。

ああああああああああああああああああああ死にたい。

フリーペーパーが楽しい。いつ飽きるんだろう。君はいつ私に飽きるんですか?私の言葉が好きって、本当に好きなんですか?私の何を見て、どういうところに何を感じて、私の言葉のどこが好きなんですか?好きなのは私の言葉だけですか?私のことは嫌いなんですか?私のことわかりますか?頭がおかしいと思う?お互い様だよ。好きなら好きって言って。わからないならわからないって言って。知りたいなら知りたいって言って。リプライでちゃんと毎日好きって言ってよ。

久しぶりに小説を読みました。すごく面白かった。死にたいって思った。あああああああああああああああああ。どうして私は。あああああああああああ。才能がないならせめてプライドが欲しかった。社会のレールから外れたら死ぬくらいの、プライドと意地がほしかった。みっともない、ダラダラ生きてどうするんだろう。恥ずかしくないのかな。恥ずかしいです。死にたい。

嫉妬、嫉妬、嫉妬、嫉妬、嫉妬!誰からも必要とされてない気がする。誰にも認めてもらえない気がする。多分、事実。どうしたらいいと思いますか?たくさんの犬が早朝の公園で人間たちを散歩させてる。必要とされてていいね。おひさまが気持ちいいね。

好きって言ってくれませんか?嘘でもいいです。どうせ、私が誰かなんて、あなたが誰かなんて関係ないですから。あああああああああああああ。苦しい。自分の人生に真剣に向き合わなかったツケが回ってきてる。今。リアルタイムで。春に剥かれて死んでしまいたい。みんなと仲良くなりたかった。

私のための教祖でいたい

勝手に死ぬなんてゆるさない。

 

絶対絶対絶対守ってあげる。大丈夫だよ私がいるから。世界中の誰からも必要とされなくたって私だけはあなたを必要としてあげるから大丈夫。みんながあなたの可能性を鼻で笑ったって私はずっと応援してあげるから大丈夫。みんながあなたを忘れたって私は忘れないでいてあげるから大丈夫。社会に認められなくたって私は認めてあげるから大丈夫。何もできなくても大丈夫。役に立たなくても大丈夫。ブスでも大丈夫。価値がなくても大丈夫。意味がなくても大丈夫。恋人に裏切られても家族が先に死んじゃっても私はずっとそばにいてあげるから大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。その代わり私以外に安心しないでね。

 

 

 

ブロガーにもライターにも作家にも批評家にもなれません。

 

私は私のための教祖でいたい

肉まん

誠実でありたい、と思う。

 

才能もセンスも人脈も経験も知識も技術も何もないわたしが生きていくには、ただただ誠実でありつづけるしかないのだ。

 

子どもから大人になっていく日々のなかで、「ひとに優しくすること」「真面目にがんばること」「ルールを守ること」「よい人間であること」が、いつかわたしの救済につながることや、いつか報われることとして信じて疑わなかった。

同時に、子どもから大人になっていく日々のなかで、それらの「いつかわたしの救済につながるであろうこと」や「いつか報われるであろうこと」は、どんどん色褪せていった。

 

優しさで損をしたり、真面目にがんばることでバカを見たり、ルールを守ることを笑われたり、よい人間であることを弄ばれたりして、たぶん、わたしは、ちゃんと大人になれなかった。

みんなと同じように「当たり前のこと」を当たり前にしようとしても、わたしだけが上手くいかないみたいで、いろんなことに傷ついて、疲れて、いやになって、それが生きていくことへの後ろめたさになっていたように思う。

 

みんなに合わせてそんな思いをするくらいなら、いっそ合わせないほうが生きやすいのかと思ってみたけど、そうでもないみたいだ。

 

たぶん、レールから外れて生きていけるのは、レールから外れてしまったひとではなくて、レールから外れても生きていけるひとなのだ。

みんなと同じこともできない人間ができることなんて、なにもないんだなあと思った。

 

だからこそ、わたしは誠実でありつづけなければならない。

 

ひとつずつ、ていねいに、誠実でありつづけること。他人に対して、仕事に対して、友情に対して、時間に対して、愛情に対して、ルールに対して、生活に対して、人生に対して、世界に対して、わたしに対して、誠実でありつづけること。

 

だって全員殺せないのなら、全員愛するしかないのだ。

妻「ゴミ出しくらいしてよ」 夫「市販のダシを使って味噌汁作ってるくせに何言ってんだ」

共同生活って大変です。

Twitterでタイトルのようなやり取りを見ました。よく読んでみると、どうやら奥さんが旦那さんに「ゴミ出しくらいやってよ」と言ったところ「自分は味噌汁のダシも取らないくせに、俺に家事を手伝えと言うのか」と返ってきた(意訳)……という話らしいです。

 

ちょうど私のところでも、最近の我が家の家事事情について話をしたので、メモ代わりに書き残しておきます。

ちなみに私は未婚ですが現在同棲しています。もちろん既婚での共同生活と、未婚での共同生活では事情は異なるかもしれませんが、現時点で「もしこのまま結婚したとしても、今のルールのままがいいなぁ」と思っているので、既婚/未婚での事情の違いは一旦置いておきます。

 

私たちには基本的に、お互い平等でありたいという気持ちがあります。

平等については様々なシーンや意味合いがありますが、共同生活において一番重要な平等は、お金についてだと思っています。

なので、我が家ではお互いの収入に関係なく家賃・光熱費・水道代・通信費は半分ずつ支払っています。食費や雑費はどうしてもその時々で変動してしまうので、出来る限り折半しています。

そのうえで、家事についてはルールを設けず、2人で協力しながら家事をしていくというルールで生活しています。当番制でもありません。

 

それは私たちが、生活にかかるお金を折半して(金銭的に)平等になってからでないと、協力して家事をするということはできないんじゃないか?と思っているからです。

逆に言えばお金も半分こなんだから、家事も半分こしようということです。

 

元々は相手が一人暮らしをしていて、私がそこに押しかけた引っ越してきたかたちで共同生活が始まりました。

例えば、彼が「家賃は僕が払うよ」となったとすると、きっと私は「じゃあ家事は私が全部やるね」となるだろうと思います。私たちがこれの何を問題視しているかというと、決して家事の重要性を軽んじているわけではないですが、金銭的に依存してしまう関係性は主従関係になりやすいということです。

 

これは彼が言っていたことですが、主従関係を亭主関白になぞらえてみると、ポジティブに考えると「俺が身の回りの世話もするし責任も取る(保護)」、ネガティブに考えると「だからお前は俺の言うことをきけ(支配)」となります。

そして彼は「家庭という閉じた場所では主従関係がネガティブに作用する可能性も大いにある(例えばDVとか)し、僕は人間であるから、人間として、そういう環境やシステム(ネガティブな主従関係)に絶対に屈しない!と言える自信がない。だから主従関係は嫌で、平等でいたい」と言ってくれました。私はこれを聞いてすごく納得しました。

もちろん「私たち2人が生活するお金は全部自分1人で稼ぐので、あなたは家事を全てやってください。自分は一切手伝いません」というルールを決めるのも、それはそれで平等のひとつのかたちなのかもしれません。

でも、疲れ果てた専業主婦が「サラリーマンと違って、24時間365日働いている専業主婦のほうが大変!」と言ってしまうように、人間は「自分のほうが大変だしつらい」と感じやすい生き物です。それなら仕事も半分、家事も半分、それぞれ同じことを半分ずつやったほうが相手の負担も想像しやすいし、協力しようと思えるんじゃないかなぁと考えています。

 

今回、我が家で議題にあがったのは「当番や担当を決めず、2人で協力しながら家事をしていくことが正しいのかどうか」です。

きっかけは、不要になったガラス瓶を私が放置していたことでした。特に当番や担当を決めていたわけではないのですが、いつも彼がガラス瓶やペットボトルのゴミ捨てをやってくれていたので、今回も捨ててくれるのかな?と思って放置してしまっていたのです。

何度も書いてしまいますが、我が家では家事の当番や担当を決めていないので、いずれこういう問題が起こることはわかっていました。ですが、彼と話しているなかでハッとしたのは、私の中で「ここは彼の家だから」という責任逃れのような気持ちがあったことです。

 

彼がいつも何も言わずガラス瓶やペットボトルを捨ててくれていたことに対して、後から越してきた私は少し他人事だったかもしれません。それは、ここが彼の家で、彼は私より先にここに住んでいて、私は後から越してきたために、ゴミ捨てのルールや地域性のある決まりごとは彼がやってくれるだろう(彼の仕事だろう)と思っていたからだと思います。

それは平等ではないし、私もちゃんとお金を払っているのだからここは私の家だし、平等だからこそ、私にもちゃんと家や生活を維持していく責任があるのです。

でもやっぱり家事を当番制にするのは融通が利かなくなるから嫌だし、自分の当番じゃないものは自分には関係ないと相手に押し付けるのも嫌だし、今まで通りお互い協力し合って、上手くいかないときは話をして擦り合わせをしていこうかなと思います。

 

私は結婚の経験がないのでまだわかりませんが、もし私が彼と結婚したとして、将来自分の分までお金を稼いできてくれる彼に「ゴミ出しくらいしてよ!」と言ってしまうのも、立場が逆転して、働いている自分に代わって家事を全部やってくれる彼に「ちゃんとダシくらい取ってから言えよ!」と言ってしまうのも、自分がどちらの立場だったとしてもすごく悲しいなぁと思います。

共同生活って大変です。

ごめんね。

ずいぶんぼくはたくさんの人を傷つけてきた。

傷つけて、傷つけられて、もう全部嫌になって、殺してバラバラにした死体をこっそり山に埋めてくるような、そんな人間関係ばかりだった。

 

誰かを傷つけてしまったことに怯えて、謝ったらもっと嫌われてしまうような気がして、最初から全部なかったことにしようとして、ぼくはみんな殺してきました。

 

「ぼくが悪い」と言えばそれで終わり。

君の気持ちなんて、ぼくの過ちなんて、1ミリもわからなくても、ただ「ぼくが悪い」と納得すればそれで終わり。あとは無理やり忘れるだけ。

 

ぼくはたくさんの人を傷つけてきたけど、要するに、ぼくは目の前にいない君にはなんだって言えるけど、目の前にいる君には何も言えないクズ野郎で、つまり臆病だってこと。本当のことなんて誰にも話したことがないような気がする。

君にひとこと「好きです」と伝えるために、ぼくは月を見る。つまり、臆病だってこと。

 

あの日、君がぼくに「助けて」と言ったこと、きみと手をつないで夜を歩いたこと、きみと朝ごはんを食べたこと。君は忘れちゃったかな。嫌いになっちゃったかな。

「君が元気ならそれでいいよ」なんて強がりながら、こんなことを書いて、いつか君が、これを読んでくれたら、なんて、きっと君はぼくのこういうところが嫌いだったのかもしれない。

名前だって、住所だって、連絡先だって知ってるのに、Twitterのアカウントを教えてもらえないだけでぼくは君に直接謝ることもできない。臆病なんかじゃない、クズ野郎だね。

 

君はぼくのこんなところが嫌いだったのかもな。

ぼくはぼくのこんなところが気持ち悪くて、情けなくて、惨めで、大嫌いです。

 

いつの間にか君がいなくなっちゃったこと、ぼくは頭が悪いからわかりません。ぼくのことを好きとか嫌いとか、ぼくはもう君のなかから消えちゃってるかもしれないのに、頭が悪いからわかりません。ただ、一緒に食べた真夜中のマックのポテトみたいに、くたくたになった君のセーターの手触りを、よく、覚えています。

 

いくらぼくが勉強をしたって、君の好きな子の真似をしたって、ぼくは君の好きな子にはなれないと思う。でも、きっと努力するべきだったんだね。それが行動で表すってこと?それがただしい愛だったのかなぁ。

 

いっそ君に殺されてバラバラになって埋まってしまいたい。

 

ぼくがぼくのことを嫌いになればなるほど、ぼくはこんなに君のことが好きだったんだなぁと、君がいなくなってからやっと気づいたよ。こんなに好きでした。本当にごめんね。